ヌーヴェルヴァーグの波は、日本にも届きました。
というより日本では、波が二段構えで来たんです。
一段目は、松竹の社内から。
1960年前後、松竹は若手の助監督たちを一気に監督に昇進させます。
大島渚、吉田喜重、篠田正浩。
会社としては「フランスで流行ってる若手路線、うちでもやろう」という営業判断でしたが、出てきたのは会社の手に負えない怪物たちでした。
大島渚の『青春残酷物語』『日本の夜と霧』は、若者の性と政治を真正面から撮って、社内で大問題になります。
「松竹ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれた彼らは、ほどなく会社を飛び出しました。
二段目が、その受け皿です。
ATG(日本アート・シアター・ギルド)。
当初は海外の芸術映画を上映する会社でしたが、やがて「製作費1,000万円」の低予算で、商業映画では絶対に通らない企画を次々と映画化していきます。
スタジオの外に、作家のための実験場ができた。
低予算×作家性という座組は、いまの深夜アニメやインディーゲームの生態系の、はるか上流のご先祖です。
この時代の日本前衛の頂点が、勅使河原宏です。