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マンガ百年、ぜんぶ読む 第3回

ポンチ絵から『のらくろ』へ — 新聞・雑誌が育てた職業漫画家

第1部 マンガの誕生

「マンガを描いて、それだけで食べていく」。

いまでは当たり前に聞こえるこの職業が日本に成立したのは、たかだか百二十年ほど前のことです。
今回は、絵の上手い人が「漫画家」という職業人になるまでの話。
主役は新聞と雑誌、つまりメディアです。

出発点は横浜の外国人居留地にあります。
1862年、イギリス人画家のワーグマンが風刺雑誌『ジャパン・パンチ』を創刊しました。
本国の有名な風刺雑誌『パンチ』の日本版という意味です。
ここから、風刺のきいた戯れ絵を「ポンチ絵」と呼ぶ習慣が生まれました。
少しあとにはフランス人のビゴーも来日し、条約改正前後の日本社会を鋭く、ときに痛烈に描いています。

つまり日本の近代マンガは、輸入品として始まりました。
西洋には、新聞や雑誌に時事風刺画を載せ、画家に原稿料を払う仕組みがすでにあった。
その仕組みごと入ってきたわけです。

これを日本人の職業として確立したのが北澤楽天です。
福澤諭吉に見出されて新聞『時事新報』で風刺画を担当し、1905年にはカラー風刺雑誌『東京パック』を創刊。
楽天はしばしば「日本初の職業漫画家」と呼ばれます。
彼が自分の仕事に選んだ名前が、前回登場した「漫画」でした。
ポンチ絵という呼び名には安っぽい響きがあったので、より格のあることばとして選び直したんです。
名前の選択が、職業の格を作る。
ブランディングの話としても示唆的です。

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