1959年3月17日。
日本の出版史に残る、奇妙な一日です。
この日、『週刊少年マガジン』(講談社)と『週刊少年サンデー』(小学館)が、同じ日に創刊されました。
偶然ではありません。
互いの動きを探り合い、相手より先に出ようと発売日を前倒しし合った結果の、同日発売です。
出版社同士の我慢比べが、そのまま歴史の号砲になりました。
今回は第2部の幕開けとして、週刊少年誌という戦場の全体図を描きます。
この戦場の仕組みがわかると、第2部の残りの回——梶原一騎も、ジャンプも、藤子も鳥山も——が全部つながって見えるようになります。
まず、週刊で少年マンガ誌を出すことがどれほど無茶だったかを押さえてください。
それまでの子ども雑誌は月刊が常識でした。
マンガ家は月に数十ページ描けば一流。
それが週刊になると、単純計算で仕事量は4倍以上になります。
この無茶を可能にするために、業界の仕組みが変わりました。
アシスタント制度が発達し、マンガ家は工房の親方になった。
編集者が取材や構成に深く関わるようになり、二人三脚の制作体制ができた。
そして原稿料と発行部数が桁違いに跳ね上がり、マンガ家は「当てれば長者番付に載る」職業になっていきます。
第3回で見た「仕組みが先」の原則どおり、週刊化という仕組みの変化が、次の時代の才能の土俵を作ったわけです。