1980年代の初め、マンガ業界には「大友以前・大友以後」という言い方が生まれました。
一人の作家の登場が、時代を区切る物差しになる。
手塚治虫以来のことです。
今回は、その大友克洋が何を変えたのかの話。
結論を先に言うと、この人は紙の上の情報量の基準を変えました。
大友克洋は1973年にデビューし、70年代は青年誌で短編を描き続けます。
その絵は、当時の常識から見ると異様でした。
第4回でやったとおり、手塚以来の日本マンガの絵は記号の体系です。
大きな目は感情の窓、汗の飛沫は焦り、スピード線は速さ。
読者は記号を読んで物語を受け取る。
大友はこの約束事を、ほとんど使いませんでした。
日本人の顔は日本人の顔として写実的に描く。
ビルは設計図が引けそうな正確なパースで建つ。
爆発すれば、瓦礫の一つひとつが物理法則に従って飛ぶ。
決定打が、1980年から連載された『童夢』です。
巨大団地を舞台に、老人と少女の超能力対決を描くこの作品で、大友は伝説になった表現を生み出します。
超能力で壁に叩きつけられた人体が、コンクリートを球状にへこませる——あの「壁のへこみ」です。
爆音も閃光もなく、変形した壁だけで衝撃の物理量を伝える。
効果線の記号ではなく、世界の側の変形で力を描く。
この一撃で『童夢』は、マンガとして初めて日本SF大賞を受賞しました。