710年、律令国家「日本」は、唐の長安をモデルにした本格的な都を構えます。
平城京です。
碁盤の目の街路、朱雀大路の幅は約70メートル。
人口は推定で数万から十万規模。
辺境の島国に、東アジア標準の国際都市が出現しました。
教科書だと、奈良時代は「大仏と正倉院の華やかな天平文化」のイメージで語られます。
それは間違いではないんですが、実像はもっと切実です。
この時代の日本は、感染症と飢饉と反乱に次々に襲われた、危機の時代でした。
そして奈良の大仏は、その危機からの「復興プロジェクト」だったんです。
今回は、教科書の1行の裏にある、パンデミックの話から始めます。