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穿 018

建武の新政と室町 — 天皇親政の失敗と「花の御所」

第3部 武士の登場

1333年、鎌倉幕府が滅びました。

元寇の後遺症で御家人の信頼を失っていた幕府に、とどめを刺したのは、一人の天皇の執念です。
後醍醐(ごだいご)天皇。
日本史でも屈指の、あくの強い帝です。

この人、倒幕計画が二度も露見して、隠岐(おき)島に流されました。
普通なら、ここで歴史から退場です。
ところが後醍醐は島を脱出し、船上山に立てこもって全国に倒幕を呼びかけます。

これに、悪党(あくとう)と呼ばれた新興武士・楠木正成が呼応し、幕府軍を千早城のゲリラ戦で釘付けにしました。
そして幕府の切り札として派遣された御家人の名門・足利高氏(のちの尊氏)が、あろうことか幕府を裏切って京都の六波羅探題を攻め落とします。
関東では新田義貞が鎌倉に攻め込み、北条一族は東勝寺で集団自決。
百五十年続いた武家政権は、あっけなく崩れ落ちました。

さて、問題はここからです。
幕府を倒した後醍醐天皇は、何を始めたか。

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