明治日本が生まれ落ちた19世紀後半の世界は、弱肉強食の帝国主義時代でした。
アフリカは列強に分割され、アジアの国々は次々に植民地化されていく。
清はアヘン戦争以来、半植民地化の坂を転がり落ちている。
「国家として独立を保てるか、呑み込まれるか」が、リアルな二択だった時代です。
明治日本の選択は、「呑み込む側に回る」でした。
今回は、日清・日露という二つの戦争を通じて、日本が帝国主義国家になっていく過程を追います。
勝利の物語としてではなく、その勝利が次の時代に何を残したかまで含めて、です。
まず、国家の器から。
1889年、大日本帝国憲法が発布されます。
アジアで最初の、本格的な近代憲法です。
伊藤博文らはヨーロッパで憲法調査を行い、君主権の強いドイツ(プロイセン)型を模範に選びました。
天皇が定めて国民に与える欽定憲法という形式で、主権は天皇にあります。
それでも、議会が開かれ、選挙が行われ、法律と予算は議会の協賛を要する。
「憲法と議会を持つ国」になったことは、条約改正交渉の大きな追い風になりました。