第2部の締めくくりは、個々の神ではなく、日本の神観そのものを扱います。
「八百万の神」という考え方です。
八百万は「やおよろず」。
文字どおりの800万ではなく、数えきれないほど多い、という意味です。
山にも川にも、岩にも木にも、雷にも竈にも、優れた人物にも、果ては恐ろしい祟りをなすものにまで、日本人は神を見てきました。
この「カミ」という言葉、実は英語やその他の言語にうまく訳せないことで有名です。
江戸時代の国学者・本居宣長は、『古事記伝』でこう定義しました。
尋常でなく優れた徳があり、畏れ多いもの——それがカミである(本講座訳)。
ポイントは、善いものに限らないこと。
恵みをくれるものも、災いをなすものも、人知を超えて「ただならぬ」ものはぜんぶカミ。
全知全能の創造主とは、まるで別の概念です。
雷を「神鳴り」と呼ぶ語感覚のなかに、この世界観は今も生きています。
範囲の広さを実感してもらうために並べてみます。
富士山はカミ。
滝も巨岩もカミ。
実在の人物では菅原道真が天神さまに、徳川家康が東照大権現になりました。
第9回で見たとおり、祟りをなす恐ろしい存在ほど手厚く祀られて神になる。
さらに言えば、民俗学講座で扱った妖怪たちは、このカミの世界のいわば在野の親戚です。
祀り上げられればカミ、野に残れば妖怪。
両者の境界は、じつはかなり曖昧なんです。
一方、世界には「神はただ一柱」と考える道を選んだ人々がいます。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。
世界人口の半分以上が、この系統の一神教を信じています。