相手は、心から愛していた18歳の女性、レギーネ。
彼女に落ち度は何ひとつありません。
青年のほうも、生涯彼女を愛し続けました。
遺言で、わずかな遺産をすべて彼女に残そうとしたほどです。
では、なぜ別れたのか。
本人は、その理由をはっきり書き残しませんでした。
代わりに彼は、この破棄の直後から、偽名を使い分けながら猛烈な勢いで本を書き始めます。
愛とは、選択とは、絶望とは、信仰とは——。
青年の名は、セーレン・キルケゴール。
のちに「実存主義の父」と呼ばれる男です。
彼の全著作は、ある意味で、あの婚約破棄の謎への長い長い注釈なんです。
キルケゴールが生きたのは、ヘーゲル哲学の全盛期です。
歴史の必然、世界精神、壮大な体系(第22回)。
デンマークの教養人たちも、こぞってヘーゲルを語っていました。
若きキルケゴールは、この空気に猛烈な違和感を抱きます。