今回の主役ハイデガーは、二十世紀最大の哲学者のひとりに数えられます。
同時に、ナチス政権下で大学学長を務め、党員となり、戦後も明確な謝罪をしなかった人物です。
思想が深いから、政治の過ちは大目に見る。
政治が過ちだから、思想も全部ゴミ。
どちらの片付け方も、この講座では採りません。
深さと過ちの両方を、まるごとテーブルに載せます。
そのうえで言うと、彼の主著『存在と時間』が突きつけた問いは、いまのぼくたちのど真ん中に刺さります。
「あなたは、自分の人生を生きているか。それとも『みんな』の人生を生きているか」。
ハイデガーの出発点は、途方もなく大きな問いでした。
「存在する」とは、そもそもどういうことか。
机が「ある」。
ぼくが「いる」。
ぼくたちは「ある」という言葉を一日中使いながら、その意味を問われると一言も返せません。
アウグスティヌスの時間論(第9回)と同じ構造です。
西洋哲学は二千年、存在者(あるもの)について論じながら、存在(あるということ)そのものへの問いを忘れてきた——彼はこれを「存在忘却」と呼びました。